私とキリスト教
キリスト教について少し語りますよ。
本来僕は自信の信仰について語るつもりはなかった。それは私が非まっとうなキリスト者を自認しているし信仰は個人内で完結しているから
何故語ろうかと思ったかというと
この記事でid:apple104kun 様からの質問を受けたからである
キリスト教徒にとって「神」とはなんぞや?という質問だがこれにどう答えたものか。非常に苦慮してしまった
まず
初めに言っておきますが僕は
①合理(理性)主義者
②不可知論者
③発達障害者(社会性が抜け落ちている)
で,
生まれた頃からずっとキリスト教的世界観を通して世を見ている
とは言え
「敬虔なクリスチャン」では全然無い
のです。
一例を挙げれば,僕が属している教派(日本ではマイナー)とkatholiekの違いは,ドグマの違いではない.両者がムキになっているだけで所詮は政治上の対立にすぎない.insignificant.の認識で適当に近所の教会に通う程度にはテキトーです.海外に住んでいた時もそれで.多分中世や保守的な教会なら異端扱いされるだろうよ
そこで,キリスト教徒にとっての神とは何なのか。一般的な答えを僕が答えるのはどうだろう。
とりあえず僕にとっての「神」への考えを発表し,一般キリスト者の認識に対しては当て推量する形をとらせていただきます。
もう一度言いますが僕は聖書に関しては最近やっとで読み直しているとはいえ小さい頃家族に読み聞かせられて以来です ゆえに神学上の厳密さは期待しないでください 絶対近所の評判のいい教会とかキリスト教神学系単科大学の学生さんとかに伺った方が精緻な回答が得られると思います なお私は批判には寛容です🌠
初めに
日本社会では宗教への当たりが強い.例えば,とある犯罪者の日常という名web漫画サイトでかなり稚拙で古臭い宗教批判が広げられるシーンがあるが・・・
これなんてでも典型じゃないか?
まあ別にいい.だが戦国時代にいっぺん日本はキリスト教国家になるべきだったのは今でも惜しい.新渡戸先生が言う武士道、あんなのはまやかしだと思う.常に刃物ぶら下げた方々の武力本位で自己満足でありながら卑屈な道徳だと思う.常に弱者に寄り添う姿勢が明白な優しい世界のキリスト教とは本質的に違うし正対する.弱者に対してのみマッチョな典型的日本流の考え
続きは別の機会に記す。
参考